定年退職で手に入る自由は見せかけでしかない

Viet PhanによるPixabayからの画像

本物の自由は職業、性別、年齢など何の条件もなく手に入るが簡単ではない

会社勤めをしていると何かと縛られることが多い。

出勤時間や仕事の予定など自由に使える時間はことごとく制限されるが、そんなサラリーマンが自由ではない理由を疑う者は誰もいない。
サラリーマンにとって具体的に頭で描ける不自由さは、限られた時間や限られたお金だけだ。

若い時ならその限られた自由な時間に限られたお金を使って遊びにも行ったが、50代にもなると休日が限られた自由に使える時間ではなくて体を休める時間になってしまい、更に自由な時間は減ったように感じていることだろう。

定年退職して得られる自由とは

定年退職すればいつ何をしようが誰に咎められることもなく、これこそが自由だと嬉しくなるが、このやりたい時に何でもできる時間こそが定年退職で自由を手に入れたと実感できる客観的事実なのだ。
言い換えれば定年退職で得られる自由は時間だけでしかない。

お金の自由は収入が減るのだからとても自由とは言えないものだ。
当然ではあるが収入と引き換えにして手に入れた自由だと言っても言い過ぎにはならないだろう。
そうまでして手に入れた自由だとしたら有効に活用しないと罰が当たると言うものだ。

そんな貴重であるはずの時間も定年退職から時間が過ぎて行けば自由だと感じなくなってしまうのは何故なのだろう。
自由な時間に順応してしまえばそれはもう自由ではなくなってしまい、逆に効率よく使えない時間に不自由ささえ感じてしまうのだ。
つまり定年退職で手に入る自由な時間はただの見せかけに過ぎないと言うことだ。

その理屈をお金に例えれば、どれだけ大金を持っていようが自由だとは言えないということでもある。

そんなことを書けば「持っていない者の僻みだ」と言われそうだが、お金を持っている人ほどお金で自由を買うことはできないと自覚してい人が多いようだ。

本来自由とは時間やお金のように客観的事実として見えるものではなく、多くの偉人が語っているように理性などの心の底にある知的能力に大きく関わることのようだ。

見せかけの自由に振り回されないために

まるで偽物の自由が世に出回っているような言い回しだが、定年退職前後の歳周りの人が自由と言うものを勘違いしないように書くだけだ。
「勘違いしているのはお前だけだ」と言われても仕方ないところではあるが、確かに定年退職当時は有り余る時間に自由を感じたのも事実だ。

その当時を思い出せば、時間だけでなく煩わしいと感じる人間関係からも解放されることに自由を当てはめてもいた。
会社という組織には失いたくないご縁もあれば、当然天敵と言ってもいいほどの人は必ずいるものだ。
勿論会社だけではなく取引業者やお客様も含め、ご縁を選ぶわけにはいかない。

善し悪しは別にしてもそれらの人間関係はほぼすべてなくなるので、自由という観点から言えば望んでいたものになるだろう。

しかしこれもまた時間と同じで、時間の経過と共に自由とは感じなくなるのだから本物の自由とは考えられない。
つまり有り余る時間を得て煩わしい人間関係を取り払っても本当の自由は手に入らいないという証しでもある。

本当の自由を探すには

ネットを覗くと若い人の中には自由とお金を結びつけている人が多くいるが、それも無理はない。
ブログやYouTubeではネットで稼ぐ方法がトレンドとなり、サラリーマン向けに「そんな人生でいいのですか」とか「このまま一生サラリーマンで」などと甘い誘いのテーマで溢れている。

それらを覗くと一部のネットで稼いでいる人が、如何にも自分が自由を手に入れたかのような内容を目の当たりにする。
何億も稼いでいるのにまだ稼ぎ足りないから真面目なサラリーマンを誘惑しているのではないかとさえ思えてくるが、本当の理由は本物の自由を手にしていないからなのではないかとさえ思えてくる。


確かにお金さえあれば会社に縛られることもあらゆる物欲からも解放されるだろう。
そうかといって心まで解放されて自由になれるとは思えない。
そのように思うのは私が60歳を過ぎ悟りを開いたからではく、定年退職を経験して実感しているからだ。

本当の自由とは時間やお金で得られるものではなく、逆にお金や時間からも解放された時に心の奥底で感じる理性と呼ばれるような知能なのだろう。
勿論まだまだその心境に至るに程遠いのは分かっているが、道筋が見えただけでも豊かな人生に繋がるような気になってくる。

本当の自由を知らない人が侵す影響力

本当の自由を手にした実績のない私が言うのは説得力に欠けると分かってはいるが、自由を勘違いした人が招く社会への影響も気になるので付け加えたい。
不自由だと感じるのは時間やお金がないからでもサラリーマンだからでもないのは、サラリーマンを定年退職した私が言うのだから少しは共感頂けるのではないだろうか。

自由になりたいという理由で定年退職を早めたりサラリーマンを辞める決心をするのに警告したいだけでもある。
若い人には辞める前にもう一度「本当の自由」について考える切っ掛けにして頂けるだけでもいい。
ネットで蔓延している「簡単に稼ぐ」「ネットで稼ぐ」というキーワードには特に注意が必要だ。
稼ぐのはあなたではなくそのコンテンツの主だからだ。

しかももし少ない確立の中で稼げたとしてもそこに本当の自由があるとは限らない。
それよりも先ず今置かれている現状で本当の自由を得ることができないか考えて見るべきだろう。

偉人が残した理性と自由の繋がりを信じるなら、サラリーマンだから自由は手に入らないという理由にはならないからだ。

コメント

  1. sorataka より:

    たまたま検索で見つけ、読ませて頂いております。

    「本当の自由とは時間やお金で得られるものではなく、逆にお金や時間からも解放された時に心の奥底で感じる理性と呼ばれるような知能なのだろう。」

    あくまで私の勝手な判断ではございますが、この部分で、理性、知能、など、何か高尚なことを言われているようで、魅力的に響いております。

    一方で、私が未熟であるからとは思うのですが、この部分から何か具体的なモノ、あるいはコト、をつかむことができず、よく理解できないというのが正直なところです。

    魅力を感じるのに、頭が悪いせい?でよく分からない、というのが、なんとも残念な気持ちで、後ろ髪をひかれる思いです。

    再来年、55歳でサラリーマン(公務員)を辞めることを検討している、53歳男性でした。

    • saiga yumezou より:

      コメントありがとうございます。
      そして返信が遅くなり申し訳ありません。
      soratakaさんの感じられてている違和感は正直なところなのだろうと思います。
      特にサラリーマンを長年続けてこられたのですから尚更でしょう。
      私もいまだに自由を手に入れたと心の底から思える心境には至っていません。
      足を引っ張っているのはたぶんサラリーマン時代の価値観であったり、承認欲求が抜け切れていないからなのだと思います。
      それでも少しずつ自由に近づいている気がすることもありますが、そう感じる時は一生懸命やりたいことをしている時に限ります。
      私のブログはほとんど自分への戒めなので人様の心に入り込むものではありませんが、少しでも参考にして頂けることがあれば幸いです。
      この頃は横着して更新が滞っておりますがよろしくお願い申し上げます。