
Yuanzhe HuによるPixabayからの画像
60歳過ぎている人は40年も人生が残っているはずもない
厚生労働省も人生100年時代を見据えた経済社会システムを創り上げるのための会議を行い、政策のグランドデザインを検討する議論を何度も行っている。
そのように聞けば誰の人生であっても100年あるように想像してしまわないだろうか。
今この「人生100年時代」という言葉はいろんな場面で使われるようになり、あたかも寿命が伸びたかのように錯覚したりもする。
今のシニア世代には到底当てはまらない言葉
そもそも人生100年時代とはイギリスのビジネススクールの先生が提唱した言葉で、先進国の長寿命化が急激に進んで2007年生まれの人の半数が100歳を超えて生きると予測したことが発端のようだ。
2007年生まれの人とは今現在13歳の人たちのことだ。
その人たちが100歳に到達するのは87年後ということを想像すれば、まだ遥か先ということにならないのだろうか。
それでなくても今60歳を過ぎている人たちからしてみれば当てはまらない言葉であることには間違いない。
それなのに色んな場面でこの「人生100年時代」という言葉が一人歩きをしているようだ。
例えば生命保険の話しの途中でも「人生100年時代がそこまで来ている時代ですから」といった具合だ。
中には「今は人生100年時代ですから」などと言う人もいるくらいだ。
そんな時は「いやいや人生100年時代が来るのは87年後ですよ」と言い返したくもなる。
あくまでも今の平均寿命は80歳を少し超えたくらいのもので、ましてや健康寿命となれば70歳を少し超えたくらいと考えていた方が間違いない。
迂闊に「私たちにも人生100年あるんだ」などと錯覚してのんきに人生を過ごしていたら遣りたいことも出来ないまま終わってしまったと言うことにもなり兼ねない。
寿命を知ると価値観が変わる
自分の寿命など死の宣告を受けた人でないと意識することもないだろう。
今健康だと感じている人に「自分の寿命を自覚しろ」と言う方が一般論ではない。
60歳の人に「あなたの健康でいられる人生は、あと10年そこそこですよ」などと言っても、まともに受け入れて「それなら真剣に自分の人生を見つめ直して悔いを残さないように改めます」と言う人の方が希少だろう。
誰も寿命を意識しないのは「人の寿命など神のみぞ知る」と考えているか、それともそんなことを考えながら生きること自体意味がないと思うからだろう。
しかし60歳の人が自分の寿命はあと10年と意識しながら生きることにまったく意味がないわけではない。
本当に寿命があと10年なのだろしたら人は何を考えるのだろう。
これまでの人生を反省し「せめて最後の人生くらいは今までと違った人生にしたい」と考える人も多いのではないだろうか。
自分の寿命が10年しかないと思う人が「いやいやあと10年あるのならその間に精一杯稼いでやる」と考える人などいるのだろうか。
寿命を意識することは時間の価値を考える切っ掛けだと言えないだろうか。
あと10年の寿命でも必要以上のお金を稼ぐのは「自分の死後そのお金で社会貢献したいという目標があるからだ」と言うのならそれもいいだろう。
今まで考えもしなかった自分の寿命をあと10年と意識することで、特に時間やお金に関する価値観を変える切っ掛けになればと考えたいのだ。
人の命は儚いから尊い
「人の命は儚いから尊い」
これは以前にも書いたが50代の頃、現役で亡くなった同僚の葬儀に参列したときの僧侶の言葉だ。
若くして亡くなった同僚の死を目にしてこの「人の命は儚いから尊い」という言葉に共感したことを覚えている。
この言葉を自分の人生におき代えると「人生はいつ消え去っても不思議ではないのだからその時間の価値は何ものにも代えられないほど高い」となる。
生きている人には誰にでも当てはまるが、ましてや60歳も過ぎてあと10年そこそこの人生だと自覚するのであれば尚更だ。
現在でも100歳を超えて元気な人も多くいらっしゃるのは知っているが、人生100年時代を真に受けて「自分の人生はまだ40年も残っている」などと思える人はよほど健康に自信のある人だろう。
もしそうだとしてもこの辺で一度立ち止まり人生の時間の価値を考えるのは悪くないことだ。
私の場合は自分の寿命を健康寿命平均値の70歳を超えた程度として人生を考えないと、何度となく悪癖の怠け癖が「人生100年時代」へと引きずり込み余裕の時間を与えてしまいそうだ。