サラリーマン辞めたのなら夢は阿呆人生!
「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿呆なら踊らにゃ損々」は徳島阿波踊りのキャッチフレーズとも言える歌詞の一説だ。
ネットで調べると「どちらも似たようなものだ」という例えにも使うとあるが、私には「見て楽しむよりも実際阿呆になってみると違う世界が見えてくるよ」と解釈する方がピンとくる。
いつの間にか見る側になっていた
多くの人は子どもの頃から就職をするまでの間に、スポーツや楽器を実際にプレーしていたのではないだろうか。
中には就職してからも野球やバレーボールなどを続ける人もいるが、その割合は少ないようだ。
仕事をしていればスポーツや音楽に打ち込むことも難しいのが実情だろう。
それは家族の生活を背負って生きている責任感から、仕事以外に打ち込めるものを持つ心の余裕を失っているからだと思える。
それが50代から60代にかけて徐々に家族への責任は軽くなってくるが、そのころには若かりし頃のようにスポーツなどを自らプレーして楽しむ体力や気力はなくなっているようだ。
精々テレビなどでプロの選手が活躍している映像を見て、自分がプレーしているような錯覚に陥るのを楽しむ程度だ。
それでも昔打ち込んだことを思い出してトライしてみようと再開するも、やはり数十年のブランクは大きく諦めるための結果しか出てこない。
脳内の記憶だけは当時のまま存続しているが、筋肉や神経、柔軟な体はそこにはない。
それが分かっていても死ぬまでにもう一度、あの頃の体感を経験してみたいとチャレンジするのも悪くはないだろう。
しかしそれを邪魔しているのは決して衰えた体だけではない。
阿呆になるのは難しい
もう人生の後半に差し掛かった年齢になれば阿呆になる難しさを思い知る。
若い頃なら親に叱られようが世間からどう思われようが阿呆になって自分のスタイルを押し通せたかも知れないが、この歳になって阿呆になろうにも現役時代の鎧をすべて脱ぎきるのが至難の技と感じるほどだ。
いつの間にか世間の目を常に意識するようになり、子どもに対してもできる限り世間で認められた道を歩いてくれるように願う親になっていた。
子育てが終わり親を見送ってやっと阿呆になる条件が整ってきたにもかかわらず、阿呆になりきれない自分に間怠さを感じるのだ。
一般的にもこの歳になってから「阿呆になりたい」などという発想は珍しいのかも知れないが、阿呆になって何かに打ち込むという人間らしさにずっと憧れていたからなのだろう。
正に徳島の阿波踊りに込められた精神論だと思えてならない。
阿呆が秘めた精神的解放感
20歳そこそこで世間という常識世界に足を踏み入れ、その後40年も常識に縛られて生きてくると、その常識から少しだけはみ出すことに罪悪感とも言える心理が働いてしまう。
「この歳になって恥はさらせない」という意識が心のどこかに居座っているだけならまだしも、意味もない虚栄心までも阿呆になる邪魔をする。
一心不乱という状態まで心を沈めようとするなら阿呆になる以外の方法は思いつかない。
私が阿波踊りの歴史的背景や風土的関わりに詳しい訳ではまったくないが、どちらかと言えば「何も考えず一心不乱に踊れたら幸せだろうな」と思う憧れだけだ。
女性が手を前にかざしながら一糸乱れぬように団体で踊る阿波踊りよりも、男踊りと言われる自由に大きく踊る姿に憧れるのは完全に心を解放し、迷いも何もない姿に見えるからだ。
そこには、常識人間として生きてきたせいで失った阿呆精神を思い出させてくれるものがある。
まるでシャッフルで奏でられる鐘の音が陶酔に導く麻薬のようでもあり、阿波踊りでなくてもそのような心境を経験してみたいと憧れるばかりだ。
阿呆を見るより阿呆になりたい
何も世間でいう「常識外れの迷惑行為を繰り返す人間になりたいと」言っているのではないことだけ誤解を解いてほしい。
ここで言う阿呆とは決して愚かな人のことを指しているのではなく、心底熱中し迷いもなく集中して何かに没頭しているさまのことだ。
もちろんこのような人は見ていても飽きないし憧れも持つが、最後の人生に叶えられる夢をひとつだけ持てるとするなら見る人よりも阿呆な踊り手の方だ。
阿波踊りの男性が手ぬぐいで頬かむりをし、正しく知らぬふりを決め込んでひょうきんに踊る姿は決してスマートとかお洒落という風には見ない。
しかしその姿に憧れるのは外見ではなく心に秘める格好良さだ。
阿呆になるのは難しいが、今からでも間に合うなら阿呆になる努力はしてみたい。
40年間のサラリーマン生活で溜め込んだ常識という角質を取り除こうとするなら、常に阿呆を意識して生活しなければならないだろう。
憧れの阿呆人生に少しでも近付くために。