老後の生き方に正解はないが?

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老後を楽しく生きるには?

シニアと言われる年代になると、老後は不安ばかりで楽しく生きる術はあるのだろうかと思うばかりだ。
しかし実際には老後を楽しく過ごしている人も多く、その人たちに見習うことも多くあるはずだ。

人を羨んでは楽しい老後にならない

「あの人は沢山退職金を貰って羨ましい」「あの人は趣味がいっぱいあって楽しそう」「あの人は仕事があるから生き生きしていて羨ましい」「あの人は元気でお金もあるから毎月のように旅行に行けて楽しそう」など巷でよく耳にするシニアの会話だ。
誰でも言わないだけで悩みはあり、全てに恵まれた人などいないだろうが「隣の芝生は青い」といったところだろうか。

いつも他人と自分を比較している人は自分の幸せが見えていないことが多い。
自分が見えていないから人のことが自分より恵まれて見え、悲観した考え方になってしまうとも言えそうだ。
そして見えるのは高い山ばかりになり低い山は見えなくなるが、今自分にない物を求めて悲観しても心が豊かになろうはずもないことは言うまでもない。

人を見ることは止めて自分を見直すことで目標が生まれ、人生を楽しくすることに繋がってくる。

心の底にある欲求を探し出す

欲求と一口に言っても食欲のような生理的欲求なら体が教えてくれるが、心理的欲求はそんなに単純ではない。
将来どんな人生にしたいと考えているのか、そして何を求めているのかを考えても明確な答えを持っている人は少ないだろう。
しかしそんな心の底に沈んでいる欲求を探り出しておかないと、どんな目標を持ち何をすれば達成に近づくのかもハッキリせず行動を起こす事すらできない。

長い人生を過ごしていると、心の底にある自分の欲求が見えなくなることはよくあることだ。
例えば「どうしてもこの車に乗りたいのでお金がいる」といった車に乗りたい欲求が目標なのに対してお金や金儲けは手段だということを見失うことなどだ。
「老後働けなくなった時に、今までと同じように少し贅沢をしたいと思えば年金だけでは足りないので働ける内は働く」と聴いてもその贅沢が漠然とした目標なので、結局老後の資金不安を少なくしたいのだろうと言うことになってしまう。

仕事をすることで世の中に貢献したいとか世間のお役に立ちたいと考えるなら、どんな風にお役に立つのかを目標にするのか明確に言えるならそれもいいだろう。
要は60歳も過ぎてから目的も明確ではないお金やお金儲けは必要ないということだ。
そして如何なる時もお金やお金儲けを目的や目標にすると判断を誤ることに成りかねないということにもなる。
勿論生活するお金は必要だが、不安解消という欲求はお金では解決しないことの方が多いからだ。

元々不安解消といった抽象的な欲求は明確にすることは難しいから、その不安解消に繋がる具体的な目標を掲げるといいだろう。
例えば「夫婦関係がどうもギクシャクしている」と悩んでいるなら、夫婦で旅行をする目標をたてるとか、「健康に不安を抱えている」と思うなら生活習慣の改善や運動の具体的な目標を設定すると言うことだ。

自分の恵まれたところを見直し幸せ感を味わう

人生とは生きている時間を過ごすことには間違いないが、その時間の過ごし方は百人百様で「正しい人生の過ごし方」に答えはない。そして幸せだと感じるために自分を見つめ直してみるのも悪くはない。
何もなくても目標があるだけで幸せだとか、健康で大きな問題がないことだけでも幸せだと自覚することができなければ人生は楽しくならない。

「贅沢するほどのお金もないが借金もない」と分かればお金の掛からない楽しみ方を見つければいいし、少し贅沢したい時はそのお金を稼ぐだけの仕事を探せばいい。
「これと言って趣味がなく時間を持て余している」と分かれば自分にできる趣味を見つければいいだけのことだ。

「定年退職して仕事をしていないから気が滅入る」と思うのであれば自分にできる仕事を探せばいいが、「仕事はあっても給料が安いから」という理由で躊躇するのは人を羨んでいることと変わりない。

普段当たり前のように感じていることも、見方を変えれば恵まれていると気付くことがある。
健康で毎日過ごせることは当たり前過ぎて見落としているが、これほど恵まれていることは他にないと自覚することが幸せ感を得る第一歩に繋がるだろう。

シニアに自己顕示欲や承認欲求は必要ない

人生の三分の二を終えたなら今まで持っていた「人に認められたい」という承認欲求などは捨てるに限る。
老後の生き方に正解はないとはいえ、自己顕示欲や承認欲求の高い人は人間関係を複雑にすることが多い。
シニアに必要なのは期待を求めない奉仕的欲求が望ましい。

定年退職して会社などの組織から離れると地域社会など営利を目的としない人間関係の中で生きることになるが、そこには上下関係もなければ共通目標も存在しない。
「情けは人のためならず」というのは人が本来持っている基本的な欲求だそうだが、人に喜んでもらうことで自分の存在価値を高めたり幸せ感を味わうことができるといった意味だ。

サラリーマンは概ね仕事をするとき常に期待を求めて一生懸命働いてきた。
その期待をする気持ちが自己顕示欲や承認欲求と結びつき当然の権利として身についているが、定年退職と同時に期待することから足を洗うことが幸せ感に繋がっていく。
分かっていてもそう簡単に期待を捨てることができないのは、サラリーマン人生の弊害かも知れない。

一人に慣れることもシニアには重要

定年退職して区切りを付けるとそれまでの人脈とは疎遠になっていくのは言うまでもない。
毎日会社に行っていた頃は周りに人がいて当たり前で、「たまには一人になりたい」と思ったことが仕事を退くと懐かしくも感じるはずだが、そのくらい一人でいる時間が増え寂しさに包まれるだろう。

しかし一人でいる時間を楽しめるようになると老後生活の満足感を上げることができる。
以前のように人間関係に悩むこともなくなり、シンプルな生き方に幸せを感じることができるようになるだろう。

何も人との会話だけが老後の楽しみではなく、読書や絵を描くといった趣味に没頭している時は誰にも邪魔されない一人の時間を楽しめるものだ。

一人に慣れることは図らずもシニア世代に先ず優先することではないかとさえ思えるが、定年退職して一人に慣れるなら読書か一人旅がお勧めだ。
人と話したいという欲求を絶ち、頭を一人で楽しむ脳に切り替えることだ。

一人に慣れてくると孤独で寂しいという感情が薄れて集中力が上がり、何かに没頭する楽しみを見つけることにも繋がってくる。
そうなれば自分だけの価値観が確立され、自己顕示欲や承認欲求に悩まされることもなくなるはずだ。

一人に慣れておくことで、将来配偶者に先立たれることがあったとしても一人で生きていく力となる。
一人に慣れるとは一人の時間を楽しめるようになると言うことであって決して社会との繋がりを絶つと言うことではないが、一人が楽しめるようになるということは他にも増して人生の強みを得たことになるだろう。

不健全とも言える目的が心を動かす

目的や目標を持ったからといって、今までの性分を正反対に変えることなど不可能と言ってもいいだろう。
例えば健康維持目的でダイエットをして体を引き締める目標を立て、毎日ウォーキングと筋トレをすることにしても継続することは難しい。
生活改善を目的に晩酌を半分に減らす目標もそう簡単ではない。

シニアと言われる歳になると誰でも考えることではあるが、継続するのが困難なのはどうしてなのだろう。
好きな酒が飲めないのを唯一の楽しみを奪われたように感じたり、いくら健康のためとはいえまだ病気にもなっていないのに辛い筋トレや時間の掛かるウォーキングなど面白くないと思っているからなのではないか。

そんな時は目的を変えてみるのも一つの案だ。
「健全過ぎる目的は達成率が低い」のに対し「不健全な目的は達成率が上がる」と思ったことはないだろうか。
例えば健康維持という目的はあまりにも健全過ぎて達成率は上がりそうもない。
だが異性にモテたいといった不健全とも言える目的に変えるだけで達成率は上がるということだ。

これは前に書いた「人に認められたい」という承認欲求と言えるもので内容は矛盾しているように感じるが、それだけ人の意思や志しは崩れやすいものだと言うことだ。
生活改善をして健康維持を目的に晩酌を減らすより、「明日の酒をもっと美味しく飲むために今日は禁酒しよう」という方が目的をポジティブに捉えることができるとも言える。

そして目的をポジティブに捉えることができると人の心は動きやすくなるのだ。

老後を楽しめる人と楽しめない人

シニアと言われる歳になって毎日を楽しんで生きている人と、不安や悩みに苛まれて人生を楽しめない人の決定的な違いはどこにあるのか。
それはお金や健康だけに影響を受けるものではない。

楽しむための一番の要素としては、心を動かすポジティブな思考力が大きく影響していることが分かる。
常に悲観的な思考で物事を捉える人は心を動かすことが容易ではないのだ。

「石橋を叩いて渡る人」「石橋を叩かず渡る人」「石橋を叩かず渡らない人」の例で考えれば、三番目の「石橋を叩かず渡らない人」だけは石橋を渡ろうとする心が動いていないということだ。
石橋を叩いて渡る人も叩かず渡る人も、渡ろうと心が動いたことになるのでポジティブな思考力を持っているという訳だ。

石橋を叩いて渡る人は慎重で用心深くネガティブ思考のように見えるが、橋を渡った先には心を動かされる目的が見えポジティブな思考が働いたのだ。
何を伝えたいのかといえば、いつも慎重で自分をネガティブな人間だと思っている人でも、心を動かすほどポジティブになれる目標を見つけることで楽しめる人に変わることができるということを伝えたいのだ。

どうしたら心が動くのか、何なら心が動くのかを考えると老後を楽しく生きるヒントが見えてくるだろう。